01. 地域の履歴に耳を傾け、地域の姿の意味をたずねる

 この10年間、我々は、川やダムや広場や道のデザイン、景観計画や様々な地域・まちづくり計画と、多様なテーマのもとに、多くの地域と向き合ってきた。それぞれの必死さで地域と向き合う中から、地域づくりへの思いや眼差し-地域づくりに関わる自分なりの知恵と技-をそれぞれに育ててきたが、その根底に共通するのは、「地域の履歴に耳を傾け、地域の姿の意味をたずねる」という、地域認識の出発点である。


>今野 久子


 地べたから染み出すまちの履歴


 ある時、地べた、という言葉がふと頭を横切り、それから、まちを地べたから切り離して見てはいけない、というようなフレーズが時々思い浮かぶようになった。広辞苑に、地面・大地の俗語、とだけ記されたこの言葉は、確かにあまり上品ではないが、そこに何かがしっかりと根をおろし、何かが長い間脈々と息づいてきたのだと直感させるような響きがある。歴史に残る劇的な出来事、粛々と営まれてきた暮らしぶり、きり拓かれてきた多様な生業、繰り返された季節の風景、山河の姿の移り変わり、訪れた人々がそこで体感したであろう景観-こうしたものが、地面でも大地でもなく地べたに、刻み込まれているように思えるのだ。そこから染み出す履歴が重層して、現在のまちと暮らしの姿の個性・アイデンティティを作り上げている。


 地域の履歴を拠り所とするまちの個性の発見


 地域の履歴から発想することは、まちづくりの基礎中の基礎であり、そのこと自体に目新しさはない。にもかかわらず我々は、「地域の履歴に耳を傾けてきた」ことを、10年間の取組みの節目に敢えて宣言したいと考えた。何故か。
 それは、構想・計画・デザインというまちづくりのステージの違いを超えて、我々は多くを地域の履歴から教えられ、これを1つの拠り所・手掛りにまちの個性を見出し、その場所にふさわしいといえる計画やデザインを提案できたと考えているからである。
 例えば、山形県県土景観ガイドプラン(平成5~6年度)の検討では、古くから伝わる庶民の信仰とレクリエーションを兼ねた「三十三観音巡り」に注目した。これは、各地の景観をストーリーづけてみせるという景観演出上意味深い行動様式であり、しかも、県内の代表的三十三観音は、村山・最上・置賜・庄内という地域的まとまりを超えることはなく、各地域内で完結していた。すなわち、三十三観音を手掛りに、この地域区分が現在の行政上の一般的地域区分であるだけでなく、暮らしの中で連綿と受け継がれてきたコミュニティ・地域のまとまりであることを取り上げ、これを拠り所として県土景観をこの地域単位で読み解くことを提案した。千葉県印旛村(平成9年度)でも、オボスナサマと呼び習わされてきた鎮守神が地域とコミュニティのまとまりを形成してきていたことを学び、そこから、歴史に裏付けられたコミュニティの単位の大切さを景観計画に位置付けたのである。これらは、信仰と深く結びついて生まれたコミュニティのまとまりや暮らしの文化という履歴に地域の個性を見出し、これを今後のまちづくりの計画に展開した例である。
 地形構造も、我々が注目してきた地域の履歴である。まちを支える大地の高・低や、まちを取り巻く山・河等の地形の骨格は、多くの場合、都市の構造を規定し、景観の基調を成し、そこに自ずとその土地にふさわしい暮らしの姿・文化が育まれてきている。印旛村の都市マスタープランでは、台地・低地に2分される地形構造こそが、台地上の集落と低地の水田という土地利用の秩序と固有の地域景観を生み、印旛村を印旛村たらしめている骨格をなしていることを認識し、地域の姿はこの地形構造に規定され、その上にこそ展開しているものであると位置付けた。これを端的に示すものとして、都市マスタープランの中枢といえる将来構造図は、「地形の骨格」を1枚に、「土地利用・交通の姿」をもう1枚に描き分け2層で表現した。この地形の骨格を永続的に保全すべしと、計画者としての意思表明をしたものである。



 地域を住みこなしてきた先人の知恵に学ぶ


 技術の進歩は、どのような建設行為をも可能にし、人が本来持っていたはずの真面で当たり前な感覚をはるかに超えた都市空間を生み出した。深刻な環境問題や自らが住まう地域への関心の低下などはそのツケだと言えば、言い過ぎだろうか。
 美しく心地良い国土・地域・まちをつくるのに必要なのは、いつの間にか忘れられてしまった、この「当たり前」の感覚を取り戻すことだろう。
 かつて、技術が無いため仕方なく、人々は地べたにへばりついて暮らしてきたのだが、そこには自ずと、地域に住まう人が知恵と力をあわせるコミュニティが生まれ、コミュニティ毎に、自分たちの心地良さを共通の価値基準としながら、暮らしやすい地域が築かれ育てられてきたのである。
 我々が地域の計画・デザインを提案する時、その履歴をつぶさに見つめるのは、「当たり前」の感覚にしたがいながら、美しさ・心地良さとは何かを鋭く見ぬき、これを大切にしながら、地域を住みこなしてきた先人の知恵に学びたいからに他ならない。
 我が国の現在のまちや暮らしの姿は一定の文化水準の中にあり、一見しては、変わり映えしないのは、ある意味で当然ともいえる。しかしながら、長い時間をかけて地域風土の中で培われてきた様々な履歴を丹念に読み解いていくと、そこには、現在のまち・暮らしがなぜこのような姿であるのか、その意味と、一見見落としそうな微妙な違いが見え隠れしている。そこにこそまちの個性やそのまちらしい表情を見出せる、と我々は考える。これらを掘り起こし、地域での再発見を促すこと、まちづくりの計画・デザインを通してこれらをより良く育てていくことが、我々の大切な仕事であると考えている。


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 千葉県印旛村             山形県白布温泉 
表情豊かに〈まちと暮らしの履歴〉を語りかけてくる、昔の面影を残す建造物


20111027-01_03.jpg
印旛村の将来構造図
〈地形の骨格〉と〈土地利用の姿〉〈交通の姿〉とを分けて表した




05 Jan, 2012 | take_A



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