暮らしの記憶とその記録

長谷川 智也/伊藤 登

 人が住まなくなった家屋の劣化は早い。同様に人が手を入れなくなった土地の荒地化も早い。早期に草地となり、徐々に樹林となっていく。全国で限界集落の問題が顕在化する中、都市自体の消滅危機さえも指摘されはじめている。我々の先祖が大地を耕し、生活の基盤をつくり、文化を育んできた営為が途絶えれば、その時間の蓄積とは裏腹に瞬く間に自然の姿へと回帰していくだろう。
 このような都市・集落消滅の危機に際して、都市づくりや景観づくりに関わってきた我々は何をなすべきか。放棄され、自然へ帰っていくそれらの土地と土地に刻まれた暮らしの姿を、ただ見ているだけでよいのか、今、それが問われているといってよい。


 暮らしの記憶の消失



 東京電力福島第一原子力発電所事故で、避難を余儀なくされ、また当面帰還することができないとされた土地は、ことの原因と経緯は別として、全国の地域が遭遇するであろう将来的な状況を私たちに突きつけている。神社の祭礼や神事、祠や道祖神、名前がつけられた辻・小径や小川の淵や瀬、堰や分水のシステムなど、生活を営む上で先祖から引き継いできたもののうち、文化財として認められていないものすべてが失われる危険性に直面している。これらは、どの行政システムからも手が差し伸べられないところにある。
 再び、これらの土地で生活を営もうとするとき、先祖がその土地に刻んだ筈の何かしらの手がかりがあることは、きわめて重要なことに違いない。


 手がかりを求めて



 このような生活の記憶を記録する試みは、東日本大震災の被災地でも既に有志によって行われている。その例が石巻市の「記憶の街ワークショップin石巻」や、福島飯館村での飯館までいの会による「いいたてミュージアム - までいの未来へ記憶と物語プロジェクト -」などである。都市づくりや風景づくりの立場からは、地域地区の風景を記し、将来的な暮らしの基盤づくりに資する生活に関わるフィジカルな要素に対するアプローチが必要であろう。左ページの図は、岐阜県恵那市岩村町において、将来づくりを考える際に、参加者の協力により作成した絵図である。このようなわかりやすい手がかりもまた地域・地区の再興に求められるであろう。


 地域絵図の探究


 地域絵図は、測量技術がまだ発達していない時代からある地域表現で、どこに山があり、町はどのくらいの広がりがあり、道はどう続くのか、といったことを誰もが直感的に認識できる形で表現した立体地図である。これは地形の特徴や土地利用の状況、あるいは重要施設などの位置関係など、地域を総体的かつ直感的に認識するための手法である。これにより地域絵図を見つめる人にとっては、地域全体の状況を把握しながら個別の問題を直感的に解決する手がかりとなる。こうした地域らしさから個々の具体的な問題を考える視点は大切であり、特に、地域の景観を考えるうえで大きなヒントを提示しているのではないかと考える。
 近年、Google Earthなど地域を立体的に俯瞰できる簡便な方法がある一方で、大正から昭和にかけて活躍した鳥瞰図作家の絵師吉田初三郎(1884~1955年)の絵図が注目を浴びている。彼の描く絵図は、地理データをもとに作られた均一なデータ集合体としての3Dモデルとは異なり、誰にでも分かりやすい観光地の案内図として人気を博した。この絵図のもつ魅力が、画力にあるのか、あるいは構成要素の選び方や形のデフォルメなど手作りならではの自由度にあるのか、非常に興味深いが、詳しいことは今後の研究によるだろう。とはいえ、この誰もが分かりやすく直感的に地域を認識しやすいという特性を持つ地域絵図を利用しない手はない。
 我々はこのようなことから実験的に地域絵図を作成し、よりよい景観づくりやまちづくりの新技術のひとつとして地域絵図の活用を試みながら、その描画技術の向上を図っている。





06 Sep, 2016 | take_A



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