10+1.地域の育ての親をめざして

 我々がこれまで行ってきたことは、水辺や道、広場などの具体的な場づくり、あるいは、地域の将来像の提案といった、いわば「地域の生みの親」としての役割であった。生み出された場の充実や将来像の具現化には、地域に関る多くの「育ての親」の力が重要になってくる。我々は、「生みの親」としての関りをきっかけに、地域の人々と共に「地域の育ての親」のひとりとなるべく、地域との関係を結びたいと願っている。
>>鈴木 紀子


 生きているまち


 まちはそこに住む人、そこで何らか活動する人のものである。そうした人々により、まちは育てられていく。
 まずは自分のまちに関心を持ち、よく知ることから「まち育て」が始まる。そのための有効な方法が広報・PR活動であろう。我々はこれまでに、地域の歴史物語コラムや身近な風景の写真を掲載した「フィールドノート(埼玉県大里村:平成6~8年度)」や、小学生にも親しみを持ってもらえるような「ふるさと探検マップ(千葉県印旛村:平成10年度)」といったリーフレットの制作を行ってきた。
 また、こうした広報活動の支援から発展して、地域住民や子供たちがまちづくりに参加する機会を設けてきた。印旛村での「まちづくりワークショップ・まちづくりサロン(平成10~11年度)」の開催、あるいは、静岡県掛川市における「緑と心の散歩みち研究会(平成10~11年度)」の組織化等がそうした取り組みである。これらは、まちを発見し、まちへの関心を持つ人づくりを目指した、ひとつの試みであった。
 そして、これらの活動を通してまちについて考え、計画を練ることによって、まちへの愛着を育み、計画への愛情を抱き、まちの育ての親としてまちづくり活動の幅を広げていくことが期待されるのである。


 計画策定からまちづくり活動への参画へ


 地域の人々と共に我々が地域の育ての親となっている例として、福島県福島市の荒川を軸としたまちづくり活動がある。
 きっかけは、平成7年度から2ヶ年にわたって携わった「荒川全体整備計画」の策定である。この計画では、学識経験者、地元有識者、地元住民等から構成する委員会形式で検討を行い、河川区間内に加え、沿川地域、流域まで見据えた将来像を設定した。その後、委員会からの発案のもとに発足したのが、沿川住民が中心となって荒川地域を育てていくための「ふくしま荒川ネットワーク(FAN)」である。
 FANでは「ふるさとの川・荒川に花と小鳥とメダカを呼び戻そう」をモットーに、川に学び・考え・遊び・親しむ、様々な地域活動を展開している。既に生みの親として荒川、ひいては福島へ強い愛情を抱いていた我々は、FAN発足と同時にメンバーとなり、活動に参加した。FANの活動は、自然観察会や歴史学習会を兼ねた沿川散策、清掃、河川敷での凧揚げ大会等、多岐にわたる。我々はそうした活動を通して、地域の人々と同じ視点で荒川を歩き、荒川で遊び、荒川に触れ、地域の人々の荒川への思いを聞いた。
 計画を策定した生みの親、そして、地域の育ての親のひとりとして地域の人々と行動を共にし、地域の人々と同じ目線で川を見ることにより、荒川の〈生〉の姿、地域の人々の〈生〉の姿が見えてきた。我々はFANでの活動を通して、何ものにも代え難い体験を得た。地域を育てながら、我々も育てられたのである。


 種を播き、苗を育み、幼木から自立する樹とするまで


 まちが生きていて、育てられているなら、まちづくりは1本の樹を育てることになぞらえることができる。
広場や川などの場づくりやリーフレット製作は種播き、ワークショップや市民研究会は苗の植え付けや幼木の育成。そう例えると、福島荒川での取り組みは、計画策定で種を播き、育った苗がFANという1本の樹に成長した。
 そして、このFANという樹には、多くの育ての親がいる。我々もその一人であると自負している。
 種を播いて発芽させたり、苗を植えたりするのは、やろうと思えばすぐにできる行為だ。難しいのは、苗から幼木に、そして1本の樹として自立できるまでに育て上げることであり、この時期、最も気を配る必要がある。似たような土壌に播かれた同じ樹種でも、成育環境に大きく影響され、全く同じ姿の樹にはならない。ある程度のパターンや樹種ごとの育て方のコツはあっても、その通りにやっていればみな同じ姿の樹となるという訳ではない。どんな形に枝を広げるのか、どこまで大きくなるのか、どこまで根を張るのか。それは、水の量、肥料を与えるタイミングや量によっても異なってくる。「樹の育て方マニュアル」通りには行かないのだ。
 まちづくりにも、常套手段はない。播かれた種、植えられた苗を、その環境でならどのように育てていくべきかを見極めるのが、まちづくりのプロである我々の仕事である。その時、地域にとっての他所者であるが故の客観性と、地域の生みの親・育ての親としての愛情とこだわりとの、両方の眼を持つことが我々には必要なのである。我々はその2つの眼を以って、1本の樹を立派な大樹とするための育て方を見極めるように、如何にすればその地域がより魅力的で人々に愛されるまちとなるかについての提案を心掛けている。


 「樹」から「森」へ


 我々は、これまでの約10年で関ったあらゆる業務を通じ、計画づくりや設計に注力することばかりが我々の役目ではないことを痛感した。まちづくりはある時点で完結するものではなく、時間、時代とともに継続すべきものと捉え、地域に継続的に関っていかなければ本当のまちづくりとはいえない。せっせと種を播き、苗を植えてきて、それを1本の樹として育て上げることの大切さ、そしてそれを地域の多くの育ての親と共有する喜びを、我々は実感したのである。この10年は、そうした取り組み方の萌芽期であったと言えるのかもしれない。我々はこれから、まちづくりの「種」や「苗」を「樹として育てること」を信条として取り組んでいきたい。
 さらに、これまでと同じ10年という年月をこれから先に思うなら、1本の樹を育てることに留まらず、より広い範囲に波及させて、地域に「森」をつくっていきたいと考えている。「森」を形成するには、「樹」を増やしていくための、また、多くの「苗」を植えるための有効な手立てが必要であり、さらには多くの人々の手が必要である。
 「森」を形成するには、地域のネットワークは欠くことのできない手のつながりであり、そのネットワークにつながった人々すべてが「地域の育ての親」である。我々もまた、「地域の育ての親」のひとりとして手をつなぎ、「樹」が「森」へと展開していくためのネットワークを構築すべく、模索し、提言していきたい。
 「荒川に森をつくろう」──これは、FANで掲げた提言である。一筋の川としてよりも緑の帯となって存在すれば、地域と川とが相互に影響し合い、魅力を増幅させることになろう。そして、沿川住民にとって馴染み深い荒川がやがては福島の魅力的な財産としてすべての市民に愛され、市街地のまちづくりへと広がっていくことを期待している。沿川に森をつくること、それが、地域づくりの「森」の形成となり、地域にとって最大の収穫となることを願って。



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08 May, 2012 | take_A



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