06.水辺の名所づくりの提案

 地域を水害から守るために行われる治水事業。一方で、その規模の大きさゆえに、地域の景観構造を大きく改変する事業も少なくない。このような治水事業においては、地域の人々が新たな価値を見い出すことができるような施設整備が重要となる。我々は、これらの治水事業を「水辺の名所づくり」として捉え、新たな地域の魅力づくりを提案する。
>>御代田 和弘


 地域の土木資産としての「名所づくり」


 通常行われる土木事業によって、その地域の景観が大きく改変されることは少なくない。特にその施設が堤防や水門といった大規模な施設の新規整備の場合、地域の人々に対しての景観的影響は計り知れない。それにもかかわらず、土木施設が有するスケールが及ぼす景観的影響は比較的軽視され、ややもすると無表情な施設が出現し、地域の風景を大きく改変するような整備も行われてきた。
 しかしながら、先人達が築き上げてきた過去の土木事業においては、きめ細やかな配慮が施された施設も多く存在し、その中には、一つの良好な風景として認められ名所となってきた例も少なくない。佐賀県の虹の松原、木曽三川の千本松原、白河の南湖公園等、土木施設を含め周辺地区一帯が整備されることで、地域住民ばかりでなく多くの人々に愛される名所として存在している。
 このような先人達が築き上げてきた優れた事例は、土木事業の必然性、重要性を広く伝えるだけでなく、それを一つの良好な風景としてつくることの意味、大切さを教えてくれる。


 原風景をつくる、という意識の大切さ


 岩手県川崎村における砂鉄川のプロジェクト(平成11年度)は、我々にとって単なる河川整備としてだけでは片づけられない、
 これまでに経験することのなかった刺激的なプロジェクトであった。人口約5,000人の小さな村は、その集落のほとんどが砂鉄川が作り上げた幅数百mの狭く細長い谷間に立地している。砂鉄川とともに生きてきた村である。川崎村の中心部にほど近い位置で砂鉄川は北上川に合流する。川崎村の歴史は、この北上川の増水に伴う砂鉄川の逆流によって被った水害との闘いの歴史であった。この闘いの歴史を終結させるために、長年にわたり建設省、川崎村、そして村民との間で協議、調整を重ね、その結果決定したのが高さ約10mのバック堤の築堤である。
 我々はまず、そのスケールに驚いた。そして、次の瞬間には、そこに住む人々の日常の眺めを想像し、地域景観が大きく改変されることに危惧を抱いた。整備される堤防は、高さ約10m、法面勾配が5割(高さ1に対して幅が5の斜面)。すなわち堤防敷は100m強となる。これが左右岸に整備されるとなれば、ただでさえ狭い谷間の平地はほとんど奪われることとなる。実際の計画平面図からは、堤防と背後の山との間が約50mとなる場所に位置する民地も確認された。我々がまず想像したことは、“これからここで生まれ育つ子供達は、この堤防がそびえ立つ風景を原風景として記憶にとどめることとなる”ということである。このとき、我々の仕事はそこに住まう人々の物理的な生活基盤をつくるだけでなく、“原風景”として一人一人の心にいつまでも残る心象風景を創造するという極めて重大な責任を背負っている、ということを改めて痛感した。
 このような影響力の大きな施設であるからこそ、単なる土木施設として整備するのではなく、これを地域の新たな資産として捉え、誇りを持って後世に受け継いでいける名所風景となるように整備していくことが大切であると考えた。
 砂鉄川においては、壁のように立ち上がる堤防が“単なる土木施設としての堤防”として存在するのではなく、地域の地形の一部として、風景の一部として小高い丘のように存在することが重要である。そして、新たに生まれるこの場所に、地域の人々が集い交流を育み、砂鉄川の良さを実体験できる空間を用意することが大切である。この空間における実体験を通して、地域の人々に砂鉄川あるいは川崎村の新たなイメージを持ってもらうことは、人々の意識の中に共通の地域イメージをつくることにもつながる。そしてこのことは、住民同士が地域の将来像をともに考えるきっかけとなる。これにより、砂鉄川の風景は、そこに住まう人々が真に愛着を持てる“身近で親しみやすい名所風景”へと育って行くものと考えた。


 1/365を考えることより、364/365を考える大切さ


 我々は、「岩沼地区周辺整備計画検討業務(平成10年度)」、「防災ステーション景観検討業務(平成11年度)」において防災ステーションの整備に携わる機会を得た。これらのプロジェクトで我々が設定した一貫したテーマは、やはり「水辺の名所づくり」であった。
 これらの防災ステーションは、洪水時の水防活動に必要な資材の備蓄、水防活動のためのスペースの確保が目的に整備されるものである。そのため、比較的広いスペースが堤防天端レベルに造成される。しかし、この空間が利用されるのは洪水が起きた時がほとんどであり、その確率は通常一年に一度あるかないかといった程度である。つまり一年のほとんどは、単なる空地として存在していることとなる。治水・防災機能という観点から見れば、それを十分に満足する空間であるが、地域にとってみれば、このような有効活用可能なオープンスペースがまとまって得られることは、極めて貴重なことである。我々は、このような貴重なスペースを積極的に地域の資産としていく必要があると考えた。人々がその場所を日常的に利用することを通じて、施設の存在の必然性を理解してもらい、機能面、利用面の両方の視点から地域にとってのその場の重要性を認識してもらうことにつながる、と考えたからである。
 そのために、敷地内の空間デザインはもちろんのこと、堤内地側から見た時に、そこが単なる「盛土された場所」として認識されるのではなく、一つの緑の丘が存在するような、そこへ行ってみたくなるような、地域のランドマーク的な空間となることを目指した。そして、人々が日常的にその場所を意識することで、いつしか地域住民の意識の拠り所としての「名所」へと育って行けばよいと考えた。


 空間面の『核』と意識面の『核』をもつ


 「名所づくり」を行なう上で大切なことは、このような大規模な土木事業が、地域の人々に真に誇りと愛着を持ってもらい、名所として発展して行くためには、「空間」面の整備だけでは成り立たない、ということである。まず、地域住民が如何に一つの将来ビジョンを「意識」として共有できるかということが重要となる。そのためには、空間面でも、意識面でも『核』を持つことが最も効果的である。この空間面・意識面の『核』を地域の人々が共有することにより、真に地域に愛される名所へと育てられていくものと考える。
 地域を守る土木事業が、主目的である土木施設の建設にとどまらず、地域景観の一要素として、人々が日常的に利用する空間として、地域の人々が後世まで誇りと愛着を持ち続けられるような「名所」となっていくことを目指して、我々は今後も「名所づくり」を提案し続ける。




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岩沼地区防災ステーション模型写真(宮城県岩沼市)




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砂鉄川築堤後の姿(フォトモンタージュ)




08 May, 2012 | take_A



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