05.まちづくりとしての川づくり

 「河川」「道路」といった空間領域の概念は、一つの風景を創造する際には、何ら意味を持たない。我々が行なう川づくりは、まちづくりの延長にあり風景づくりの延長にある。常にその地域の姿を見据え、新たな地域の魅力を創出することを考え、「川」という一つの空間をつくる。我々の揺るぎないスタンスである。
>>御代田 和弘


 “ひと”、“まち”と深く結びついた、「川」という存在


 川の流れは人々の心を和ませる。人は水辺に集まり、時には食を楽しむ。人の心に、落ち着き、安らぎを与える力が「川」にはある。心地よい水辺は地域の魅力を高める。人が集まり、まちが活気づく。時に人々は、川流る風景に心惹かれ、歩みを止めて暫し佇む・・・
 古くから、川と地域との関わりは深く密接に結びついてきた。時には川辺をそぞろ歩き眺める日常の風景として、時には田畑を潤す恵みの水として。そして、人々の生活を一瞬にして奪う水害との闘い。人は生活を営む上で川の存在を無視することはできなかった。いつの頃からか、そうした意識は次第に薄れてゆくこととなる。“蛇口をひねれば水が出る”といった時代の流れに伴う生活様式の変化、舟運・川漁といった川の文化の衰退、あるいは洪水からまちを守る堤防の整備によって。
 堤防や護岸をつくる河川整備は、水害から地域を守り、安定した生活基盤を確保するためには必要不可欠な行為であり、最も優先されるべき行為である。しかし、「治水」という最優先課題のみに着目した行為が、地域と川との関係を遠ざけてしまったことも事実である。その結果、誰しもが暗黙のうちに「河川区間」という管理上の領域の概念を当たり前のようにとらえ、無意識のうちに「うち=川が流れている地域」と「そと=河川区間」とを区分して考えるようになったのではないだろうか。
 このような領域の概念に基づいて、通常の河川整備は、「そと」にあたる堤外地、堤防敷を含む、いわゆる「河川区間」において行われてきた。それゆえに、川をとりまくまちに目を向けることを忘れてきてしまったのだと思う。
 我々は、まちづくりの中の一つに川づくりがあることを常に考える。たとえそれが河川区間内(そと)のみを対象としたプロジェクトにおいても、その川が流れている地域(うち)を見ながら、その中における川の役割を考え、地域の魅力を高めるような空間を用意する。
 そして、その時に根底にある我々の考えは、まちを歩く人々が「歩みを止めて暫し佇む・・・」といった、人が川を見て本能的に感じるその感覚を大切にしながら、まちの中の「川」という居心地の良い空間を創り出す、ということである。


 “津和野”という観光地における川づくり


 平成3年度から、8年間に亘ってデザインに関わってきた島根県を流れる津和野川のプロジェクトでは、常に川とまちとの関わりの再構築を考えながら取り組んできた。
 周知のとおり、島根県津和野町は「山陰の小京都」として、また森鴎外のふるさととして知られる小さな城下町である。この小さなまちの中心部を流れる津和野川は、側方をコンクリートで固められた“親水”という言葉とはほど遠い姿を呈していた。そのためか、人々の暮らしも川に背を向けた形で営まれていた。このような姿に直面し、我々は「人々の生活と川との関わりをどのように再構築できるか」ということを先ず考えた。そして、散歩途中のお年寄りの姿、川に隣接する病院の患者さんが散歩する姿、あるいは地図を片手に訪れる観光客や修学旅行生の姿等、津和野川の河川空間で行われるであろう様々な場面を思い描いた。「人々の営みあっての川」という強い思いがあったからである。
 この河川空間を成立させる上で最も大きかったことは、左岸に隣接する養老館(旧藩校)の敷地を一部取り込み一体的に整備することができたことにある。これによって、まちとの空間的一体性が高まるとともに、地域の歴史性を河川空間に取り込むことができた。
 結果的に、この場所は観光の名所となり、記念撮影のスポットとして人々が行き交う場所となった。また、この整備を契機に、川辺の広場や街角広場の整備が行われる等、まちづくりへと空間的に展開していくこととなった。


 地域の履歴を継承した川づくり


 地域を見据えながら一つの空間をつくる。このスタンスに基づいて「川づくり」を行なう我々にとっては、とても興味深いプロジェクトと出会うことができた。平成10年度に建設省から受けた福島市の中心部を流れる阿武隈川における災害復旧事業である。対象地区は、かつての福島城趾であり現在は福島県庁が立地する隈畔地区の直上流、福島市御倉町の河岸である。この地は、その地名からもうかがえるように、献上米を貯蔵する米蔵があった場所であり、付近には福島藩の米蔵、回船問屋の船合所、米沢藩上杉家の蔵場が立ち並ぶ等、周辺一帯は「福島河岸」として賑わった場所である。特に、我々が取り組んだ阿武隈川の護岸部は、献上米等の物資の荷揚げを行なう「荷揚場」があった場所である。
 その中で我々は、かつての米蔵、荷揚場であったという歴史性、中心市街地からほど近い水辺空間であるという場所性を考慮して、「土地の記憶の継承と市民に開かれた水辺空間の形成」を基本コンセプトとして設定した。その土地の履歴に耳を傾けながら、現在あるべき水辺の姿をそこに重ね合わせる。“まち”に馴染み、“ひと”に愛される川にしたい、という我々の思いであった。
 この一つの河川空間デザインは、結果的にその後に展開する福島市中心市街地活性化計画の布石となった。


 一つの河川空間デザインから始まった市街地の活性化計画

 
 福島市は、「川づくり」から、今まさに「まちづくり」へ展開しようと動き始めている。現在、福島市は、折りからの不況を受けて中心部に立地していた大型商業店舗が次々と撤退を始める等、中心市街地の活性化が最優先課題となっている。そこに日本銀行福島支店長宅売却の話が突然舞い込んだ。場所は偶然にも我々が手がけた御倉護岸に面した所であった。
 福島市はこの土地と建物の買収を早々に決定し、広く市民に開放するとともに、この建物を有効活用する計画の検討を始めた。そして福島市は、「川から陸へのまちづくり」を基本テーマに掲げ、中心市街地の活性化を図っていくことを公表した。ここでは、建設省、福島市という行政間の枠を越えて、水辺と地域との連携を考慮しながら計画が進められつつある。
 川づくりから始まるまちづくりの第一歩である。




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阿武隈川御倉地区(福島県福島市)


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津和野川(島根県津和野町)




08 May, 2012 | take_A



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