"普通のまち" で景観まちづくりを進めるために

横山 公一


 大学で景観を学び、社会に出てから早15年が過ぎようとしている。その間、土木構造物の景観設計、景観に配慮した土木製品の開発、景観ガイドラインや景観計画の策定など、景観に関わる様々なプロジェクトに携わることができた。学生時代に興味を持った分野でご飯を食べることができるのはとても幸せなことであるが、その一方で、「景観」を専門とする実務者として悩むことも多い。


 "普通のまち" で景観まちづくりを進める上での課題



 最近、公共事業やまちづくりにおいて「景観」という言葉を敢えて用いない方が、地域住民との合意形成や、行政の方々との意思疎通が円滑に進むといった事が言われることがある。その理由には、「景観は良し悪しの判断が明確でなく、分かりにくい」といった景観そのものに内在する課題や、「景観はお金がかかる」といった未だに根強く残る誤解もあるだろう。しかしこれらに加えて、我々専門家にとってのより本質的課題として、「果たして我々は、良好な景観形成が地域社会とそれを構成する集団や個人の幸福の実現に結びつくということを、十分な説得力を持って相手に伝えられているのであろうか?」と考えることがある。
 平成17年に景観法が全面施行されて以降、全国の様々な市町村で景観計画が策定されるようになった。施行当初は、京都市(平成17年)、鎌倉市(平成19年)など、守るべき景観が明快な“特別なまち”で計画が策定されることが多かったが、近年は首都圏のベッドタウンなどの“普通のまち”で景観計画が策定され、あるいは景観のあり方が議論されるようになってきた。こうした“普通のまち”での景観形成を図る場合、単に「景観を守り・育てることは大切である」といった“あるべき論”を説いても説得力に欠ける。そこには、もう一歩踏み込んだ何かが必要だ。計画書で“あるべき論”を唱えることはできようが、プラスアルファの“動機付け”がなければ、景観まちづくりを担う地域の方々の心を動かすことは叶わないし、結果として具体的なアクションには至らない。


 "普通のまち" で景観まちづくりを進めるために必要なこと



 これに対する明快な解答を提示することは私の身に余るが、その解決策のひとつは、理想の「暮らし方」「住まい方」を“動機付け”にして地域の景観のあり方を考えることだと思う。
 「景観」はとりあえず脇に置いておいて、まずは「こんな生活がしてみたい」「こんな活動がしたい」といった理想の「暮らし方」「住まい方」を地域の方々と議論する。その上で、理想の「暮らし方」「住まい方」を“動機付け”にして、景観のあり方を考える。景観が人間の様々な営みの結果として現れる視覚的現象であるとするならば、出発点とすべきは、人々の「暮らし方」「住まい方」であろう。考えれば当たり前のことではあるが、このことを改めて肝に銘じる必要があると考えている。




06 Sep, 2016 | take_A



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