地域と共にあるパートナーとして

松井 牧子

学生時代、愛媛県南予の小さな地域の地域づくりに携わっていた。四万十川の源流に位置するその地域を初めて訪れたとき、自然と人々の暮らしが密接に関り合った山あいの畦道の美しい風景にすっかり魅せられ、気がつけばどっぷり2年間、片道2時間をかなりの頻度で通った。



 風景とそこに住む人のための仕事



そこでは、その風景と風景をつくっている、あるいは維持している、地域の人たちのために何かしたい、という一心で、小学生との風景歩き、瓦版の発行、イベントの企画・運営など、地域づくりに関するさまざまな活動を、学生主体というかたちでやらせてもらった。
10年経った今は、後輩たちが通ってくれたり、徐々に地域の人が主体になったりして、私にとってはホームと呼べるような場所だ。そのような体験と、風景のための仕事がしたい、という漠然とした思いから、コンサルタントという職業を選んだ。


 請負者という立場に悩む



 前職では、河川や湖沼の環境に関わる部署を経て、まちづくりの仕事に2年間従事した。まちづくりの仕事は、管理者とのやりとりだけで成立する以前の業務とは異なり、地域住民の参画が必要不可欠である。そのため、それまでの仕事のやり方には限界を感じるようになった。
 また、時代の傾向もあり、計画作成業務よりも計画運用業務に携わる機会が多かったことも、影響していたと思う。ちょうど、コミュニティ・デザインという言葉が世の中で大きく取り上げられ始め、それぞれの職能をもって主体的に地域に関わる人たちが多く出てきていた。私のやっているヒアリングや関係者間の意見の調整、会議の運営などは、一体どこまで地域の人の役に立っているのだろうかと感じていた。


 信頼されるパートナーとして


 悩みながらも、いくつかの仕事をやり終えた頃には、全国にいくつかの親しい地域ができ、仕事のやりがいも感じていたが、コンサルタントとしての働き方については、迷いがあった。そんな折に、恩師の紹介からご縁があり、プランニングネットワークの一員となった。初出社の日、壁に大きく掲げられた「熱海ルール」の「パートナー」という言葉を目にしたときに、受注者ではなく「パートナー」として仕事をする、という志とプライドを持った人達と働けることを嬉しく思った。
 公共の仕事に携わっていると、何のために、誰のために、効果は、ということを求められることが多い。あるいは実践的な仕事とはそういうものなのかもしれない。しかし、時にはあまりそういったことに囚われ過ぎず、ただただ地域のために動いていた学生時代を思い出し、愛のある視点で自由に提案し、長く地域に頼りにされる存在になりたい。
 人口減少時代。WSや住民説明会などの場でも今後の生活の不安を訴える声は頻出するし、交流・定住人口の獲得、自治体生き残り戦略という言葉を耳にするたび、明確な解決策を提示できない自分の無力さを感じる。しかし、どのような時代であっても、縁のあった地域に対しては、専門家として、その地域の暮らしと風景にとってのよりよい道を、共に模索し、歩んでいきたい。



06 Sep, 2016 | take_A



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